世界の経営学に、日本の経営が与えた影響も見過ごせません。とはいえ、日本は第2次世界大戦の敗戦国なので、戦後は敗戦処理の一環として日本経営が取り上げられ、批判されました。日本の工場では、雇い主は従業員を解雇しようとしないし、従業員もやめようとしないという意味での終身コミットメントを指摘したアメリカの経営学者阿部グレンの「日本経営」(1958年)も、結論は、「これだから日本の工場は生産性が低いのだ」というものでした。
そんな流れが変わったのは、日本経済が高度成長を遂げて迎えた1970年代です。終身雇用、年功賃金、企業別労働組合は、「3種の神器」とまで呼ばれました。日本的経営に成功の要因を求めたのです。実は、当時のアメリカ企業の多くは、経営がうまくいっていませんでした。それに比べて、日本企業は、従業員がはるかに企業に一体感を持ち、その役割に共鳴しているようにも見えたのです。
そして、アメリカで成功している企業も、日本企業と同じように企業文化を持っているとして、「セオリーZ」(オオウチ、1981年)、「シンボリック・マネージャー」(ディール&ケネディ、1982年)が出版され、企業文化、組織文化が時代のキーワードになります。それは、同時にビジネススクール出身のMBA取得者ばかりを重用し、長年勤めた生え抜きを例牛してきた反省でもあった。
タイプZのIBM,HP,インテルなどは日本の真似をしたわけではなく、アメリカの独自の発展をしてきた企業ですが、日本企業の組織の理念型の一部アメリカ版のような特徴を持っていました。
「セオリーZ」
1970年代になってウィリアム・オオウチ氏が登場。Z理論の研究の中で日本企業(J型)とアメリカ企業(A型)を比較対照しながら、Z理論を展開
し始めたのです。すなわち、日本経営はX理論と、Y理論の両方の良いところを集めたものではないか、という仮説を立てて展開していくのです。
《参照文献・・・W.G.オオウチ『セオリーZ』要約 吉岡伸(東京大学経済学部経営学科3年)
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~nobuta/materials2003/ouchi1981yoshioka.pdf
オオウチ氏の「セオリーZ」の書には、「信頼」「ゆきとどいた気くばり」「親密さ」こそ、そのテーマの中心をなす概念である、と吉岡氏は纏めています》
オオウチ氏は、日本の特徴的経営システムは7つある、としています;
1.終身雇用
2.遅い人事考課と昇進(役職者になるのに10年等)
3.非専門的な昇進コース(結構職場をまわり、ジェネラリストが育成される)
4.非明示的な管理機構(評価や意思決定の基準や目標が具体的な形で示されない)
5.意思決定への参加的アプローチ(重要な決定は稟議等という形態)
6.集団責任
7.人に対する全面的な関わり(職場だけでもない人間関係の形成)
このことを認識したうえで、オオウチ氏は、米国の多種多様な業界の管理職にインタビューをしたそうです。(日本型というのは隠し)7つの特徴をリストに
したものを見せ、これに適合すると思われる会社の名前を各管理職に挙げてもらったところ、多くの管理職がいくつかの同じ会社の名前をあげ、しかもそれらの
会社はいずれも世界で最も良く経営されている組織の一つと通常考えられている会社名だったそうです。具体的には、IBMであり、ヒューレット・パッカード
であり、イーストマン・コダックなどでした。
アメリカで産まれ発展してきた会社なのに、日本の会社に類似した多くの特徴を持っている会社をオオウチ氏は、J型とA型と区別して「Z型」と称したのです。
Z型の組織の特徴である平等主義的雰囲気というのは、それぞれの人が思慮を働かすことができ、細かい監視を受けずに自立的に働くことが出来るという良い
点を持っています。これは、「信頼」関係が出来ているからこそ可能であって、J型のハイレベルのやる気、忠誠心および高い生産性の要因がそこにある、という
のです。
ただし、Z型はその柔軟性なるがゆえにその短所も持ち、基本理念に影響を及ぼすような環境の大きな変動にすばやく対応できない(もたもたする)、といいます。
また、昇進において性差別、人種差別的になる傾向があるとも。「信頼」「ゆきとどいた気くばり」「親密さ」が会社内において同質化され、その結果、
文化的に異質な者を評価しない、あるいは、慎重になる傾向があるためだ、という良くない評価も忘れてはいないのです。
基本的に会社内組織あるいは人という環境だけでなく、底辺に取り巻く公私を問わぬ社会思想・社会基盤・主義主張等などの環境を考慮しつつ、理想的な
Z型を目指すことはすなわち、自己矛盾を孕みながらの改革をする、ということになります。
例えば、個人主義と集団主義の間を融合できるのか? 遅くて早い人事考課とは? 非専門的だが専門的昇進とは?・・・・
Z理論の悩みの部分は深いのですが、Z理論の中枢をなすのは“コミュニケーション”ということだと考えるのです。
極論的にいえば、上からの押し付けのX理論、自主独立のY理論、それらの間をとるようなZ理論というのは上と下のあるいは横を含めたコミュニケーション
が存在する組織理論だと考えるのです。交流分析でいうところのストロークのある組織(強いて言えば、前向きの積極的・建設的な良いストロークが交わされる
組織)を理想として日々の活動に精進すべきと言えるのです。